身近に駆け抜けた青いエピソードⅠ、Ⅱ
1998.9 エピソードⅠ
今は昔、我が社の住宅では、徳島県で一番大きなのを建ててくれたTさんを車で徳島駅まで送ったときの話。Tさんは当時N化学の上級役員をされていた。
「いやー!御社のNさんはすごい発明、開発をされましたね。たいしたものですね。」
「いや、これはね、私は思うんだが、この快挙は彼の奥さんのおかげというか、奥さんがいてくれたこそできたものなんだよね。」
「はあ?内助の功とかでしょうか?」
「違う違う、彼の奥さんがいたからこそできたんだね。」
「へえー、どういうことですか?」
「実はね、彼は学生結婚していて、子供もできていたんだね。就職はKセラに決まってたんだよ。」
「はあ?御社ではなかったのですか。」
「そうなんだ、彼は家族とともに京都に行こうとしてたんだが、奥さんが『京都には行かない!』と言い張ったんだな、あまりにも強く拒否するもんだから、京都をあきらめて地元企業を選んだ訳だ。」
「・・・・」
「それが我が社だったんだよ。それから年を経てあの業績になったんだが、奥さんが『徳島じゃないと!』と突っ張ってくれたおかげで、うちに来て、ことを成せたんだから、奥さんのおかげなんだ、この話は。なっ!そう思うだろう!」
「・・・・・」
1999.12 エピソードⅡ
今は昔、K邸の新築祝いに招かれて、上座の中央にK氏の中学校の校長先生と並んで座ることになった。
内心このような席はにがてだな、と思っていたが、意外と校長先生は話好きで、次から次と話をしてくれた。そのうちこのような話になった。
「いやあ、あの有名なN化学のNさんのお子さんが、私の学校にきておりますんですわ。」
「はあ!」
「それでですな、一つお父さんに講演でもしてもらおうかなと、お子さんを通じて頼もうかと思っておったんですよ。」
「ええ、それで?」「ところが、その矢先ですわ、向こうから、Nさんから相談があると言って学校に来られたんですわ。」
「ほう!」
「Nさんは、『実は、この度会社をやめることになりました。やめてアメリカに行くことになりました。』 『へえ、それで相談とは?』『はい、アメリカへは私一人で行ったほうがよいのか?それとも家族一緒がよいのか、子供の学校のこともありますし、迷っておりまして。相談に参りました。』と云われたんですな。」
「それで校長は何と!」
「これは、私の信念でもあるんですが、彼にいいました。『Nさん、家族と一緒に行きなさい。外国の土地でそれぞれ苦労はあるでしょうが、家族が一緒に行けるなら、絶対一緒がいいです。お子さんの大切な時期に家族が離れてはいけません。』と強く申し上げたんですわ。」
「校長先生!いい話ですね!」
徳島営業所 近住